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信者体験談
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森井 久美子 様
「総裁様を通し、八大龍王神様より救われた命」 昭和六十二年一月

札幌市 森井 久美子 様

 

昭和五十六年十一月原因不明の高熱が下がらないのをきっかけに個人病院に入院し、治療を続けましたが、おもわしくなく体のリンパ腺が次々と腫脹(しゅちょう)し、大きな病院の内科に転院しましたのが、私たち家族の入信の始まりです。
八大龍王神様を、当時で二十数年間信仰しています伯母の勧めで、母が初めて札幌分宮に参拝に参りました。
転院時、主治医より右首のリンパ腺の腫脹が激しく手術の見込みはないと言われ、検査もあわただしくすまされ、すぐ治療に入りました。主治医の先生は「悪性リンパ腫」と診断し、「あと三ヵ月くらいでしょう―、神様を信じるしかありません」と宣告され、絶望の断崖に立たされていたというのは、退院後、母より聞かされました。
母は、札幌分宮にいらっしゃった副総裁様(現総裁龍日様)の御指示通り、大型の御神(おふ)札(だ)を受けさせていただき、御供養(ごくよう)を致し、治療にのぞみました。母は副総裁様(現総裁龍日様)の「絶対、守りますから」という力強いお言葉を信じ、勇気づけられ、お参りに日々通っていたそうです。
入院中同室のたくさんの方々の病いとの闘いの日々の中、十代、二十代、三十代と、若い年代にかかわらず大勢、次々と亡くなられてゆく様子を見て、辛く苦しい治療や検査に心の中も真暗闇の中でした。八大龍王神様の御神札(おふだ)を、母にきつく言われ枕の下に入れ、死の恐ろしさと不安に消灯もすんだ頃、御神札(おふだ)を抱えて泣いたことや眠れない日々が続きました。
副総裁様(現総裁龍日様)の御指導のもと、母は分宮に通わせていただき、奇跡的にリンパ腺がマッチ棒の軸くらいに治まり、退院することができました。退院後、外出許可がおりました時、是非分宮へ参拝させていただきたいと思い、初めて、総裁様(教祖龍聖様)、副総裁様(現総裁龍日様)におめにかかり、御法話を感謝で胸一杯で聞かせていただいたことも昨日のことのようです。
分宮へ通うこと九ヵ月間の昭和五十八年八月まで、通院しながら治療という日々でしたが、八月に体の断層写真をとりましたところ、医者の目から見て、おもわしくなく、入院当初と同じ治療をしなければいけないということを言われ、力を落としてをりました。
八月は夏の大祭(御神輿渡御祭)があり、その大奇跡の数々を御法話で知り、私も大願をかけ参加させていただきたいと思いました。今年はまだ御神輿(おみこし)は無理のようですと、副総裁様(現総裁龍日様)に悟され、何とかお供をさせていただきたく、二日間、踊り(八大音頭)に参加しました。
医者の常識はみごとに破られ、絶対日光には長時間あたってはいけないと言われながらも、炎天下の中、踊りに参加させていただいたことも、八大龍王神様の御法力と御守護のなにものでもありません。
夏の大祭を終え、八月二十四日病院へ行きましたが、私を待っていたのは治療でした。しかし、また、奇跡が起こりました。強い副作用をもつ点滴の液が一滴一滴私の体に入ってゆきます。その間、南無八大龍徳恩を心の中で何百回も唱えました。すると不思議なことに、注射針から薬がもれ、左手の甲は腫れあがりました。皮膚に洩れるとそこが腐っていくという強い薬で、主治医の先生はあわてて点滴を止めました。治療は失敗です。主治医の先生は、手の甲を冷やすのに一生懸命で、腐るかもしれない手の甲に、家へ帰り御幣(ごへい)をはらせていただきました。
それから、総裁様のご検障(けんしょう)の時にこの事をお話し、ご解答の時に「こういう治療を続けていたら、命がないと神様からお知らせがありました。なんとか九月四日くらいに万障を操りあわせて、御本宮(江差)にいらっしゃい。守ってあげます。」とのお言葉をいただきました。
昭和五十八年九月四日より、母と一緒に御本宮に寄せていただきました。その日より、私の病(やまい)の原因たる私たちをとりかこむ因縁罪障(いんねんざいしょう)を次々に出され、御供養をさせていただきました。家族のまわりに潜む目に見えない、さまざまな、みたまを総裁様の御指導の通り、御供養させていただきました。
九月四日江差の聖地御本部に参拝させていただいた日より、両手一杯になるほどの薬も現在に至るまで一切、服用しておりません。現在血液検査をしても全く異常がありません。大きなお救いを頂きました。
総裁様(教祖龍聖)、副総裁様(現総裁龍日様)は、毎月、月初め朝な夕なに、私たちの因縁を御身体に背負われ、御祈願、御供養を操り返されております。
私は、御本宮に参拝させていただき、因縁(いんねん)の厳しさに身震いをし、心より御供養させていただく尊さを痛切に感じました。そして何よりも、八大龍王神様の御法力のすばらしさです。私の命をそして母の命までも御守護して下さいました。
昭和六十一年七月に母が体の不調を訴え、私自身も高熱に倒れました。その時、意識もうろうの中、眠っているその脇に、髪の長い女性三人が鋭い目をして母を見ているという不思議を見せられました。すぐ総裁様(教祖龍聖様)に御連絡を致し、御指示の通り、病院へ入院致しました。
母は子宮筋腫(しきゅうきんしゅ)と診断され、開腹手術をしましたところ、医者の診断より、はるかに重く三時間以上もかかる大手術となりました。お医者様もこの状態でよく今まで命に別状がなかったと、不思議なことだと言われました。御本宮においては、母の無事を祈り、総裁様(教祖龍聖様)より、ご先祖にかかわりのある古いみたまの、この女性の御供養をするように、御指導下さいまして、大事に至りませんでした。
因縁の深さと厳しさを改めて知らされました。総裁様(教祖龍聖様)より、「お母さんは死線を越えたので、より以上に大切にしますように」と、温かいお言葉をいただき、家族一同、母が、どんどん元気になってゆく姿を見て、深く感謝をしています。
総裁様、副総裁様ありがとうございました。このように元気になりましたが、床に伏した頃は総裁様、副総裁様をはじめ御本宮の皆様、そして、一緒に修行させていただいています崇敬者の皆様の温かいお心に深く感謝を致します。本当にありがとうございました。これからも御指導をよろしくお願い致します。

南無八大龍徳恩